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感謝
2016年04月22日 (金) | 編集 |
……


涙を浮かべ一緒に父を見送ってくれた看護師さん。



深夜の呼び出しに着の身着のまま、白衣にも着替えずに病室に駆けつけてくれた主治医。


母を待っての死亡確認。


僕の力が及ばすで申し訳ありません。


頭をうなだれる先生に


母は


よくやってくれました。


ほんとにありがとうございました。


と言って握手を求めた。



主治医は病状の変化や、状態の説明に度々電話をくれた。



いい病院だったと思う。


ほんとにほんとにありがとうございました。



父は寿命だったのだ。





………
目を開けて
2016年04月19日 (火) | 編集 |
…………


姉から電話が入る。



今日がヤマ場。先生は明日の話をもうせーへんで。



再び病院へ向かう。



もう手足をばたつかせることすらない。


ミトンは外され、手の拘束も解かれていた。


大きく肩で息をする。


回数も少ない。


以前見たことある。


きみちゃんの最後の日と同じだった。



姉と病院に泊まり込む。

2日ほど前からあまり寝れてない母は姉の家に一度帰した。


徐々に弱くなる呼吸。

度々足を運んでくれる看護師。



呼吸は落ちてきてるけど、まだまだ心臓はしっかり脈打ってますね。



血圧が50を切った。



50を切るとちょっともうしんどいですねぇ。。



日にちが変わった。



しばらくすると一気に呼吸数が減ってきた。


母にタクシーでくるように連絡する。



看護師と夜勤のDRが父を真っ直ぐに寝かしてくれ、首の後ろにタオルを入れて顎をあげ息をできるだけしやすくしてくれた。




主治医にも連絡してます。




モニターの数値があっという間に下がっていく。



姉と声をかける。



ばあちゃんが向かってるからもうちょっと待ってや!!


じいちゃん!


頑張って!!


ばあちゃんを待ったって!!


じいちゃん!!


どんどん弱く細くなる呼吸。



目を開けてほしくて
目を開けてほしくて



閉じていた瞼をそっと持ち上げた。



その目ははすでに生気はなく上目になっていた。



息止まったね。



姉と言葉を交わした。


そして心臓も止まった。


母は間に合わなかった。




………
そして
2016年04月17日 (日) | 編集 |
………


貧血が止まらないので輸血します。


主治医から電話が入った。


そして   


気管切開はどうしますか。


繰り返された質問。



しないで下さい。



そう伝えた。


主治医は、

現在の父の状態では、気管切開のためにもう一度鎮静をかけると2度と意識が戻らない可能性があること。そもそも処置中にも万が一のことが起こるかもしれないと話した。



今までは状態が急変しても 、



今回も耐えてくれると思ってます。



そう言って私たちを励ましてくれた主治医が今回は違った。




僕も今の状態から言うとそれがいいと思います。




あぁやっぱり父はもう長くはないんやわ。

これは最終確認やねんな。



そう思った。


夜中の3時に病院に行った。


手足をばたつかせて苦しそうにする父。


高濃度の酸素マスク。

激しい息づかい。


しっかりと閉じられた目。


呼びかけにも答えない。




お父さん、しんどかったら
逝ってもいいよ。




姉はそう声をかけたが
あたしは何も言えなかった。







………
最後の。
2016年04月08日 (金) | 編集 |
…………


徳島からも2回ほど親戚が揃ってお見舞いに来てくれた。


父は徳島が大好きだったのですごく喜んだ。


今度釣りに行くからスケジュールくんどいて

ゴールデンウイークにまたBBQするから肉買っていくわ


などなど話が盛り上がっていた。



幸いにもこの時が1番アタマがはっきりしていたようだ。


その後、白血球の数値が下がり抵抗力が落ち個室に移った。


入室時にはマスクと手袋、エプロンの絶対着用が医師から告げられた。


個室。ドアは感染の危険から常に閉まっている。


父は手を拘束されていたので、何かあってもナースコールを押すことができない。

一人ぼっちでなんの刺激もない。

静かにしてると廊下を行き交う人の気配がかろうじて感じられたけど。


ここに居てはますます痴呆が進むだろうななんて病室に居ながら考えた。


手を縛られ、ミトンをはめられベットに横たわるだけ。


モニターの音が単調に聞こえる。


1日がどんなに長いことか。


この時、
初めて父は痴呆が出てて良かったのかも。
なんて思った。


普通ならこの状態は辛すぎる。
自由のきかない身でただひたすら横になるだけ


退屈やろうな。


あたしならこの状態に耐えられないな。
なんて考えてた。


人の出入りが多いのも感染の機会が増えるので、みんなで時間を合わせて病院へ行っていた。


しんどそうな父。


熱も出ている。


小一時間ほどして


じゃあまた来るね。


みんなで病室をでた。

父の誰かを呼ぶ声が聞こえた。


一気に人が居なくなって寂しかったのかもしれない。


看護師さんによくお願いしてその日は帰った。


白血球の数値が下がったのは、薬の副作用だったらしく服用を中止したら数値は回復してきたと主治医から電話が入った。


早めに大部屋に戻ることができた。


顔を見に行った。



いつものように

じいちゃ~~~~ん。

直美やで~~

直美が来たよ~~

わかる~~~~?

直美やで~~~~~~



ベットサイドで話しかける。


父は 私の顔をじーっと見つめ


しばらくしてこう言った。




次女と 一緒やな。



思わず


なんでやねん!!
あたしが次女やんか!!
わからんの??
頼むで~~ほんま~~



と、突っ込んだ。


これがあたしと父との最後の会話となった。



………
2016年03月30日 (水) | 編集 |
………


1人でお見舞いに行くと、


父は


ばあちゃんは??



と、よく尋ねてきた。


とっさに

今帰ったで。

さっきまでおったよ。



と嘘をついた。



母も高齢で持病もあり、とても毎日病院に来ることはできない。



父が母が来てないことにがっかりし、落胆することををさけての嘘。




あとで知ったことだが、姉も全く同じ嘘をついていた。




それでも父は寂しそうな顔をした。



認知症になり、アタマがはっきりしているときと、よくわからないときと両極端になってきた。



親しい人ほど、父の記憶から抜け落ちていた。




その反面、あまり接点がなかった人をよく覚えていたり。



そして、自分の気持ちに素直になった。



ありがとう。


その一言がでるようになった。



母はこの頃から、父に対する気持ちが変わっていったようだ。



初めて、1人の夜が怖いと言ったのもこの頃だった。






…………
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